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皆既日食・百名山登山・サンティアゴ巡礼~ビックリする心 - 趣味遊遊

井上太一さん(いのうえ たいち)プロフィール
1950年(昭和25年)兵庫県尼崎市生まれの神戸育ち。
1975年、阪大理学部修士を卒業して三菱化成(現:三菱化学)入社。工場・海外技術輸出・商品企画・新規事業などを歴任する。
2000年に早期退職制度を利用し退社。以後、3つほど職場を渡り歩き、2005年から現在の職場である「学校法人つくし野学園事務長」に就任。
現住所は東京都八王子市。

日本百名山登山:1965~2001

さて今回は日食を離れて百名山のお話をしようと思います。


▲阪大山岳部後立山連峰縦走(1974年)

前にも言いましたが私は大学時代に山岳部に所属していまして、会社に入ってからも毎年のように登山はしていました。とは言っても、百名山の制覇は簡単じゃないですよ。山岳部でさえめったには経験者はいません、というか槍穂高で満足してしまっているんです。私の所属した山岳部で達成したのは2人くらいです。私は記録マニアでもありますので、登山記録も完璧なんです(笑)。メモによると最初の登山は1965年の中学修学旅行(バス)での阿蘇山です。阿蘇山は1968年の高校修学旅行(徒歩)と1969年の西日本サイクリングと計3回登っています。



▲筑波山頂(1983年)
変な話ですが2001年7月27日に最後の立山(大汝山)で百名山を達成した時は、もう山登りはやめようと決めたんですが、やめられません。日食病ならぬ登山病です。登山の経験もない妻を誘ってよく一緒に登ってましたが、想い起こせば、40歳くらいまでは百名山なんて意識してなかったんです。それは40個目の伊豆の天城山でしたが、その頃から百名山を意識し始めました。それからは北海道や九州などは出張のたびに登る、出張がなければ(出張を)作って登る、最後は仕事のように、義務感だけで登る。そうです、義務感がないととても百名山は無理です。生まれたばかりの子供たちも結構一緒に登っていますよ。安達太良山は、我が家の5人目の赤ちゃんを背負って7人で雪道を震えながら登りましたが、困ったお父さんでした。

百名山というのは、元々は深田久弥(ふかだきゅうや)という作家の読売文学賞を受賞した著書「日本百名山」から来ているんです。100個の山々は決まっているんですね。ただし私が実際に登ってみて感じたのは、最近ではあまりにも観光地化しすぎていて、もうはずした方がいいんじゃないかな、と思える山もあります。例をあげると筑波山・赤城山・美ヶ原・草津白根山・・・・つまり車でドライブしながらあるいはリフトで山頂まで行けたりする場所などもあるのです。


▲岩木山頂(1996年)
もっと正確にいうと私の登山は登山禁止で登っていない浅間山や山頂あと5分の手前で雷雪風雨の4拍子のため引き返した利尻山などが含まれています。浅間山は隣の黒斑岳登頂で代えてますが。故に「登頂記録」ではなく「登山記録」としました。いずれにしても最大の感謝を妻に捧げることは間違いありません。40の名山に同行してくれて、子供が小さい時には山麓で子供たちの世話をしながら待機してくれたりもしたのです。家族、そして会社の仲間たちの協力なくしてこの「百名山登山」は達成できなかったと思います。非常に記憶に残っているのは45歳の時にリフレッシュ休暇で2週間かけて東北と関東の山々を妻と二人で15個一辺に制覇した時ですね。朝、山に登ってその日の内に次の山のふもとまでドライブして宿に到着、山菜料理を堪能し温泉に入ってぐっすり寝て、翌朝5時位からまた登る~ひたすらこれの繰り返しでした(笑)

ちなみに私の思い出の山NO.1は南アルプスの赤石岳(あかいしだけ)~標高3,120m~ですね。山並みがなんともいえずキリッとした雰囲気を持っている最高の山ですよ。尾根がスマートとでもいうか。これは関係ないけど百名山を制覇しようと思ったらやはり東京に住むほうが有利です。何故なら百名山の大部分が関東から中部山岳地区と新潟県境に集中しているので、東京に住んでいればこの地区は車で日帰り登山さえ可能だからです。



▲山岳部旧友と祖母山頂(1999年)
あと山で熊に出会ってしまったら、視線をはずさないでじっと熊の目を見つめることです。秋の北海道の日高山脈では何度もヒグマに会いました。子供を2匹連れた(餓えた?)ヒグマに数十メートル目の前でバッタリ出会ったときは「これは死ぬな」と瞬間的に思いました。背中を向けて逃げると熊は習性として追いかけてきますし、絶対熊の方が足は早いので危険です。この時は数秒間お互いに見つめ合いましたら、ヒグマが緊張感に負けたのか急に回れ右し逃げていきました。逃げたり、死んだ振りはNGですので気をつけてください。遭遇しないのが1番ですが、鈴を鳴らして歩く、タバコのにおいをさせて歩くなどは結構有効と聞いています。変な話ですが目の前でヒグマ親子が走るのを眺めた時、夕日にキラキラと黄金色に輝くヒグマの毛並みや躍動する筋肉がとても綺麗だったと記憶が鮮明に残っています。


▲西朝日岳から(1996年)


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ここでちょっとだけ私の現在の職場のことを書きます。現在私は縁あってカトリック幼稚園の経営のお手伝いをやっています。教会のミサに通うようになって頼まれた仕事なのですが、今は東京と千葉の13の幼稚園の運営に携わっています。ゼネラル・マネージャーとして理事長の方針、指示に基づき経理(決算)から、先生の採用、園舎の維持管理まで、本部として園長をサポートするのが仕事です。例えば現行の幼稚園というのは(送り迎えの)園バスと給食がないと親が入園させたがらないという実態をご存知でしょうか?私の関わる東京都内の幼稚園ではバスはないし、親の作った弁当持参が基本です。それでも通わせたいと思ってくれる親御さんたちも大勢います。

最近はモンスターペアレントなどといわれて権利意識だけ強く、我が子のことしか考えない親もいますが、義務教育じゃないんだから園の方針に不満ならば来なくて結構です、と園長を守ることにしています。もちろんお金を無視して経営は成り立ちません。けれどカトリック幼稚園はアンチ営利追及、アンチ効率主義でも構わないと思っているのです。具体例を一つだけ挙げると、ダウン症などの身障者の子供を園が受け入れると周りの保護者は嫌がることがありますが、園児たちは受け入れてくれますので入園に関しては園長に任せて口出ししません。ただし経費がかかることも確かなので、経営が苦しくならない可能な範囲内で・・・という言い方はします。

つまり保育に関しては園長に任せる、口は出しませんが、基本的なカトリック幼稚園としての共通基盤や方向性に関しては命を大事に、そして家族と自分の生き方を大事にする育て方は変えたくないと思っているのです。だから親の負担をできるだけ軽くして園児の獲得に努める幼稚園と同じ土俵で競争しようとは思わないのです。私の経験から言えることは親として子育てに手抜きはできないということです。何のために幼稚園を経営しているのか、それは「カトリック保育」のためにしているのです。千葉県とか地方の園児が散らばっているところはともかく、他の園と同じサービス(バスや給食)を提供して子供を集めることはしたくありません。この意志をきちんと次の世代に渡すこと、それが私たちの使命だと思っています。


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