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半農半X(はんのうはんエックス)という生き方、21世紀の生き方を求めて - 趣味遊遊

塩見直紀さん(しおみ なおき)プロフィール
1965年(昭和40年)京都府綾部市生まれ。89年に大学を卒業後、カタログ通販会社(株)フェリシモに入社、環境問題に関心を持つ。99年退社し、故郷綾部市にUターン。
95年より、「半農半X」(はんのうはんエックス)のコンセプトを提唱。自宅の田畑で米や野菜を育てながら、半農半X的生活を伝えるべく、半農半Xデザインスクールやワークショップをおこなったり、講演や著述の毎日を送る。またNPO法人「里山ねっと・あやべ」のスタッフとして都市と田舎の交流・田舎暮らし支援活動や綾部里山交流大学の企画運営を行なっている。
著書に「半農半Xという生き方」 「半農半Xという生き方 実践編」 「半農半Xの種を播く(共著)」など

(ブログ「半農半Xという生き方~スローレボリューションでいこう~」)






「半農半X(はんのうはんエックス)」のコンセプト~内村鑑三の著書と33歳の意味


私は10年くらい前までは普通のサラリーマンだったのですが、33歳10ヶ月の時に会社をやめて、務めていた京都市内から故郷である京都府綾部市にUターンしました。父がずっと小学校の教師をやりながらの兼業農家だったので、その田畑を継いだ形ですね。当時は田が5~6反、畑が2反、茶畑が3反、山もあって植林などもやってました。私にとってはこの33歳という所がポイントで、34歳になってはダメだったのです。その理由はあとでお話します。その時に本格的に‘半農半X’的な暮らしをしようと決心しました。まずは半農半Xって何?という事から説明しないといけませんね。


簡単に言えば半農半Xとは小さな農のある暮らしをして、残りの半分はX(エックス)~つまり好きな事(仕事、天職)をやろう、という事です。人によって当然Xの部分は様々です。半農半画家でもいいし、半農半翻訳者でもいい、半農半ヘルパーでもOKです。農の部分は決して商売でなくていい。自分と自分の家族が食べられるだけの食があればそれでいい。本当に必要なものを満たす小さな暮らしをして、好きな事をして積極的に社会にかかわって行く、そんな生き方・考え方を意味しています。



実はこの半農半Xという考えはオリジナルではありません。実は私の大好きな方が屋久島にいらっしゃいます。作家・翻訳家の星川淳さんです(注、現在は東京でNGO活動をすべく赴任中)。星川さんには沢山の著書があります。エコロジカルな暮らしをベースに翻訳や執筆活動で社会と関って生活しているわけです。それで星川さんの著書の中で自分の生き方を表現した言葉に「半農半著」というキーワードがあり、「これだ!」と思ったのです。さて自分はどうだろうと考えた時に、自分にはとりあえず何もないけど‘著’の部分に‘X’を入れてみたらぴったりはまった~つまりわからないけど「探している」「未知なるもの」という意味でX・・・この「半農半X」という考え方、生き方がこれからの生き方の公式になるんじゃないかとひらめいたのです。


これがサラリーマン時代の95年頃です。でもすぐ会社を辞める自信はなかったんです。世間的にも非常に激動の時でした。95年は阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件があり、前の年はコメが不作で緊急にタイ米を輸入して騒がれた年だと記憶しています。自分自身も30歳前で、環境問題への関心と共に自分探しを非常にあれこれ考え、悩んでいた時期でした。

私が通販の会社に就職したのはバブルの全盛期89年です。通販会社なのでカタログを作るために、紙は大量に消費する訳ですが、当時としては珍しいくらい環境問題に関心を持った会社でした。全社的に環境問題を意識した経営戦略・商品開発をやっていて、カタログに再生紙を使用したり、植林をしたり、大豆インクも早くから使っていました。そんな会社は私の考え方に確実に影響を与えていますし、ある意味非常に恵まれていたと思います。それでは、何故そんな会社を辞めたのでしょうか?


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直接的なきっかけは28歳の時に出会った内村鑑三の著書「後世への最大遺物」だと思います。この著書の中に(今では私の名刺にも印刷していますが)「我々は後世に何を遺して逝こうか、金か、事業か、思想か」と説かれていたのです。この言葉は私に大きなショックを与えました。まるで自分の生き方そのものが問われているような感じを受けたのです。これは100年以上前の講演をまとめた著作ですが、内村鑑三は33歳の時にその講演を行なっています。私はその年齢になった自分を想像して、到底及ばない自分にショックを受け、とにかく33歳で新しい道に踏み出したいとはっきり感じたのです。これで33歳10ヶ月で会社を辞めた訳がわかっていただけたでしょうか。あと2ヶ月会社にいたら退職金がいい(勤続10年)とか、失業保険がいいとか色々ありましたけど、全部ぶっちぎったのです。自分にとっては34歳ではダメだったのです。

確かに無謀だったかもしれません。何しろ別に「手に職」がある訳でもないし、食べていく自信があった訳でもないのです。とりあえず自分との約束を優先したかったので、妻にも相談しないで年末に辞表を出しました。まあ何となく方向や考え方は前から共有していたので、うすうす感づいていたかもしれません。それでも正月明けに告白した時は、やっぱり怒りましたね(笑)。娘もまだ小さかった(2歳)し。でも妻は切り替えが早いというか、すぐ(綾部に)Uターンしようよって言いました。彼女は自然食の料理教室などをおこなっていたこともあり、イメージが固まったのかもしれません。実家は下関で代々、酒屋でしたから自営体質なんでしょうか?私は父の職業が教師で、元々は公務員体質なんです。月々の給料がきちんとある事が当然のような感覚ですね。退職したのは99年です。


▲味噌作り

さて地元の綾部で本格的な農的生活がスタートします。現在私たち夫婦の持ち分としての田んぼは6反ありますが、以下のように分割して活用しています。自分たちで田植えをしているのは1反です。ちなみに1反とは10アール、300坪のことです。夫婦と小さな子供1人ならこれで充分1年分のお米は収穫可能です。2反は市民農園のように12分割して、拙著を読み共感してくれた人に使ってもらっています。すこしでもお米を自給しようよというプロジェクトで参加費は年1万円、京阪神の都会の方に参画いただいています。残りの3反(50m×60m)は、新規就農の方に無償で使っていただいています。使われずに放置されるより管理してもらった方がはるかにいいのです。最近少し報道されますが、日本には耕作放棄地という捨てられた田畑(遊休農地)が埼玉県と同じくらいの面積が存在するそうです。家も田畑も同じですが使わなければ疲弊してダメになっていくのです。



続きを読む⇒自給農業~理想とするストレスのない田んぼ


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