バイク屋のスタート~四輪の歴史
今回はバイク屋の話をしようかね。
高校卒業してヤマハに入社してA級取って、20~25歳くらいまでヤマハで開発ずっとやってたね。アメリカ行って向こうで(走行)テストしたり、特許取ったり・・・
当時はあまり簡単に外国とか行けなかったけど、A級取ったご褒美もあって、アメリカは3ヶ月くらいテストも兼ねて会社が行かせてくれた。
カリフォルニアがベースでミズーリ行ったり、南部へ行ったり、砂漠で走行テストとか色々やったな。当時はバイクもいっぱい売れてた時代だった。
変な話、レースで玉をつぶしてるんだよ。大切な玉を。19歳の時、まだB級だった。
場所は
九州の阿蘇山、そこでレースやってた時、ジャンプして両足が離れて、で
着地のときにガンと地上に激突して、タンクがつぶれるくらいあそこ打って・・・・・
即入院なんですが、
痛いなんてもんじゃありませんぜ。牛乳瓶みたいにパンパンに腫れ上がった。
1週間くらい向こうで入院してたけど、
こっち戻ってきてからも1ヶ月くらい毎日病院通い。当時は磐田で寮生活だったんだけど、氷嚢買ってきてずっとベッドで寝てました。
・・・・でそのときの教訓がありまして。
普通のバイクは(ガソリン)タンクの後ろにシート(座席)があるよね。でもその時の教訓でシートをタンクの上まで伸ばしたんだ。
あれは実はヤマハ時代に僕が開発したんだよ(ちょっと自慢!)現在では世界中で使われているよ。
シートをタンク上部まで伸ばすことで、腰をタンク上部までスライド出来るし、動きもよくなるんだ。「トモシート」と名づけて、これは誕生秘話だね(笑)
その後26歳くらいからヤマハのファクトリーに移って、開発を止めてレースオンリーの時代に入る。

▲「TOMOレーシングサービス」の店内
29歳の時に・・・まあ野球でいう
戦力外通告とでもいうか、成績もちょっと延びなかったので、会社を辞めて千葉に戻って来たわけです。
ここからバイク屋の歴史がスタート。会社は辞めたというより、当時何もする事がなかったので
「じゃあバイク屋はどう?」という提案が、会社からあって。以来ヤマハさんとは辞めた後も仕事でずっと切れずに続いています。
当時はめちゃくちゃ忙しかったね。
何せ
バイクのお店も2軒同時にやってた時代もあるし、
ヤマハのインストラクターもやって全国を回って、
その上
レースもやってるわけでしょ。レースのときは兄貴に店を見てもらったりして。
この時期はヤマハの
カタログの仕事も一番多かった時代だね。いろいろ海外も行ったしね。
最近は、
オフロードのバイク雑誌も減ったよね、今は2誌くらい?一番出てるのは
「ガルル」かな。
じつはその雑誌にはその時期10年以上連載持ってたこともあったの。おかげ様で、うちの子供はガルルのギャラで卒業したんだよ(笑)
バイクもそうだけど、実は結構四輪も歴史があるんだ。ここでちょっと話しておこうかな。

▲吉原さん30才の頃のポスター
初めは20歳くらいかな、コルベット(スティングレイ)とかも乗ってて、MR2(トヨタ:スポーツカー)も初期から4台くらい乗ったな、あとはRX7(マツダ)~サバンナGTシャコタン仕様、ワーゲンポルシェも乗ったな、カブトムシ(ワーゲン)、ポルシェは3台くらい~928S4とカレラ4と・・・
(ホンダ)N-360、ホンダのZ(軽)、シビック、ジム二ーも何台か2ストと4ストと・・・・まだあるけど、とにかく全部は覚えてないよ。
飽きっぽいとは思わないけど、まあ商売にも使ってたし。売ってすぐ次が欲しくなるけどね。
金は残んないよね~、やっぱハイエースが1番だよ、あれは金を産むからさ(笑)
ちょっと脱線しました、バイク屋の話・・・

▲プロモビデオの1シーン
前もちょっと言ったけど、バイク屋は
「バイクライフトモ」「YSP貝塚」「TOMOレーシング」といろいろな時代があるんだ。
今の店は93年からだからもう14年になる。
ヤマハのTT250Rっていうオフ車のプロモーションビデオでオーストラリアのケアンズへ行ったんだよ。
その時、ケアンズにもヤマハの店があって
「明るくていいなあ」と感じた。真似じゃないけど、最初はその影響でこの店を始めたんだ。
ここには昔、
自分で組んだ車種や、練習車、TOMOの様々なグッズ類も一杯置いてあるよ。
30代の頃、新車のプロモやカタログの仕事が多かった時の
ビデオも沢山ある、ツーリングのお客さんと談笑するスペースを広く取ってあるんだ。
お客さんは
30~40代が一番多いかな。僕も、週末は地方のレースやインストラクターの仕事があるときはダメだけど、結構お店にいるね。
お客さんとオフロードのツーリングのときは、ビデオ係りが多いかな(笑)
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