初めてのヨーロッパ~目から鱗体験
チェンバロ1号機のあとは、すぐ2・3号機の製作を始めたんです。で作りかけの時に、ある転機がありました。
ヨーロッパの(古楽器製作の)作家情報を頼りに手紙を書いて、ヨーロッパに出かけたんです。フランス・ドイツ・スイス。1975年でした。
あと各地の楽器博物館にオリジナル楽器が保存されているという事もわかっていたんで、それならちょうどいいや、見てくるか・・・と。
そしたら・・・・今まで自分がやってきた事は全く違うという事がわかってしまって。
「こりゃ似て非なる以前の問題だ」と。
レベルとかもあるんだけど、それよりは
音大やNHKで見たチェンバロはバロック時代に使われていた楽器とは違うんだという事がはっきりわかった訳です。
ものすごく簡単に云うと、そういう日本に置いてあったチェンバロは
ピアノの感覚で作ったものなんだ、という事です。
これは要は20世紀以降のものは「モダンチェンバロ」っていって、新しいピアノ作りの常識の中で作ってるんです。
頑丈でね、重いんです。僕は当時日本にあったチェンバロを見てそれがチェンバロだと思い込んでしまった。これが間違いでした。
チェンバロは元々は16~18世紀に作ってたのですが、その後20世紀にピアノ技術の導入で再製作されるまで、少しブランクがあります。
で昔のチェンバロは現代のテクノロジーの時代感覚から見ると、
あんな古いものみたいに見える。

▲工房にて
でもヨーロッパの博物館で見てあれれ?・・・で作家を訪ねてみると、みんな古いチェンバロを復元(コピー)するやり方で作ってる。
全然違うというのは、
「出てくる音」も違うし、すると
「その楽器に向かい合う時の音楽したい感覚」も違ってくるという事なんですよ。
もちろん弦を引っかいて音を出すという構造は同じですが、それを入れている箱の素材・型は全く違う。

▲チェンバロ内部
例えばグランドピアノを下から覗いたことはあまりないかも知れませんが、あれは響板(きょうばん;弦を張ってある下に貼り込まれた木目の板の部分)
が見えるんです。触れる事も出来ます。ところが昔のチェンバロは
底板のある箱に貼ってあるので見えない。
これに対してモダン(チェンバロ・ピアノ)は枠だけで箱ではないので見える。
だから
「あ、これが自分のやりたいことだな」と思いました。そこで、作りかけていたものはもう
「や~めた」と。
日本に帰ってきてから作りかけてた2,3号機は壊して粗大ゴミとなりました。1号機も壊したかったけど、もうなかったから(笑)
このヨーロッパ旅行の後、方向が完全に変わったんです、つまり
楽器製作が創作からオリジナル楽器の復元に方向転換したわけです。
という訳でモダンから古楽器復元の方向に向かったのですが、これは1つには頭の切り替えが必要なんです。
モダン楽器を作る時は
「古いものよりも現代のものの方がいいに決まってる」というようなうぬぼれがあるんですよ。
楽器の中に宿っている先人の失敗や成功から学ぼうとする態度がないというか、
現代の方が材料もいいに決まってる、とかね。
はっきり云いますと(保存されている)昔の楽器には、調べて行けば行くほど今の人が学ぶべきものが満載されてる。
しかもこの当時の音楽をやりたいと思ってる訳ですからね・・・・

▲メキシコ、ダヴィンチ展ポスター
こだわりはどんどん深くなっていきます。例えば
弦を引っかく爪なんかでもね、今ならいい素材も沢山ある。
でも昔は
鳥の羽の軸の部分で作ったんです。固いペンとかで使う軸の根っこの部分あるでしょ。だから鳥の羽を苦労して手に入れてみたりね。
だけど手に入れるのも大変だし、耐久性も落ちる、消耗が激しいしね。本当は
ワタリガラスの羽が一番だけど。
まあ最近はさすがにこれに関してはプラスチックでも・・・・って思っているのですが(弱気;)
バロック音楽が全盛だった当時は楽器の奏者や製作家は
王様に仕えていた人もいて、開発費は潤沢にありました。宮廷サロンで演奏会とかね。
ちょうど日本でいうと句会とかお茶会とか、ああいうイメージの集合体の中で音楽をやってたんでしょうね。
パトロンがいて、芸術家を擁護する貴族がいて・・・という世界、それがいたから音楽も進歩する面はあったと思います。
昔のようなパトロンのいない現代では食べることも心配しながら仕事をしないといけません。
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