NGOの活動、大切にしているご縁
前にも言いましたが初めてネパールに行ったのは1998年のことでした。私はその時ポカラのペワ湖の中にあるホテルで飛行機のフライトのタイミングを待っていました。
そのホテルは晴れた日は湖に逆さのフィシュテール(中國名マチャプチャレ~標高6993mの山)が映るのと、夕日が美しい場所として有名です。
私が中庭のベンチにひとり腰掛けてぼんやり湖を眺めながら夕日が沈むのを待っていたらそこへふたりの日本人らしき人達が来たので、
「日本の方ですか? お話しても良いですか?」と話しかけたのです。しばらく日本語をしゃべっていなかったので、ホームシックと懐かしい・・という気持ちで。
さて私がそのおふたりに今までの行程(カトマンズ~チトワン~ルンビニー~ポカラ)をいろいろ話すと、その十倍位詳しい答えが返ってきて、すごい!
ひとりの方は大きなカメラを持っていらしたので、
「もしかして何かガイドブックと関係のある方でか?」「あ・・・実は『地球の歩き方』のカメラマンです」!!
(実は私もその時『地球の歩き方』を持ってました) あとで『地球の歩き方』の最後のページを見たら、カメラマン 有賀正博・編集 有賀正博と名刺と同じ名前が書いてあって・・・
これが大切なご縁の始まりでした。今になって思うのは、もしその時天気が悪かったら・・・私が夕日が沈む事に興味がなかったら・・・現在私がしている
NGOの活動も、曼荼羅美術館に展示されているタンカの制作者
ロク・チトラカール師との出会いも、そして素朴で心温まる
ネパールミティラー地方の民族画ともご縁が無かった事でしょう。
その時以来、NGOの活動で毎年のようにネパールに行っています。もちろんそれだけじゃなくて、絵を描いたりトレッキングをしたり・・・ボランティア半分、お楽しみ半分・・・。

▲チベットにて
ここでNGO活動の様子を少し。
私がサポートしている学校(ラディン郡ライカル村アンナプルナ小学校)は、カトマンズから車で4時間、さらに吊橋を渡って、そこから5時間位山の上まで歩いた所です。
・・・気温は35度、雨期には時々雨がザーと降ってきて、みるみる山道が沢のよう・・・すると村長さんが「ここでちょっと待って・・・」というので何かなと思いつつ山道を登って行くとびっくり。上で村の人達が私が濡れないよう水をせき止めていてくれたのです。
他にも「あなたのお蔭で子供達が勉強ができます」と言って花輪を首にかけて下さったり、行く先々で歓待を受け感激の涙。
そして、ライカル村に着いてまたびっくり!何と村の人たちが私がゆっくり泊まれるよう学校より立派な家を作ってくれていたのです。軒には大きく
KAZUKO COMMUNITY GUEST HOUSEの看板。ただし・・・
トイレなし・・・水無し・・・電気なし・・・あるのは
眼前はるか彼方に連なる雪のヒマラヤ。

▲2004年カトマンズ
そして私の行く先々ぞろぞろと着いてきて一挙一動を見守る
大勢の子供たちの眼、眼、眼、眼。日本語を一生懸命覚えようとするボビちゃん、コビちゃん。
夕飯は村の中でも裕福そうな家に呼ばれて、地べたに座ってローソクの灯で子供たちのお母さんが作ってくれたタルカリ(サラッとしたカレー)を食べました。
帰り道、外は満天の星、寝袋にくるまりしばし考えたのです。
こんなに貧しいのに人々の心は暖かい。子供たちの眼は澄んで美しく輝いている・・・みんな幸せそう。
日本の現状はどうでしょう?1年間の自殺者は3万人・・・若者が多い。でもここではみんな今日を必死に生きている。人間は豊かだから死にたくなるのかしら・・・。
その後有賀さんの御案内で
ロク・チトラカール師が壁画制作中の
ゴールデンテンプルを訪ねた時のことです。
その時はロク師と大勢のお弟子さん達が「ナマステ!(こんにちは)」と合掌して出迎えて下さり感激でした。
パタンドカのすぐそばにあるロク師のアトリエへもお邪魔しました。そこにはほぼ完成した
大きな曼荼羅と小さな曼荼羅が置いてあり、良く見ると日本の曼荼羅にそっくりです。
ロク師の説明によると、数年前日本の篤志家から
「高野山に曼荼羅を御奉納したいので・・・」と依頼があったのだそうです。
ところがネパールでは日本にあるような両部曼荼羅は描かないのでロク師は、どうしたものか・・・と思案にくれていた所、前述の
大宝輪閣発行の『曼荼羅図典』に出会い『これなら行ける!』と眼から鱗・・・だったそうな。ただしその後に日本経済がどんどん悪化、バブルが弾けその依頼者とも連絡が取れなくなってしまったそうです。
さて私がその曼荼羅の仏さまを良く見ると、一尊一尊の仏さまが私に向かって
「私をお連れください!日本へ連れていってください!」と叫んでいるように感じたので主人と相談してこの2体とも購入したのです。現在大きい方は埼玉県本庄市栗崎の宥勝寺(私の実家)に、小さい方は観蔵院曼荼羅美術館でご覧いただけます。
また、現在建設中の別館(平成19年11月完成予定)にはロク師が描かれた阿弥陀如来(2035×178)と108枚の観世音菩薩をお飾りする予定です。
28年前の春はじめてこの地へ来てから、3人の子供を育てながら無我夢中でここまできました。私たちの合言葉は『お寺第一』でした。
そのための犠牲もたくさんありましたが、すべて
-災い転じて福をなす- だったような気がします。
主人のモットーは、
『人の為、そして何かあった時は責任を取る』でした。
「何をしても良い。ただし自分の利益のため、自分の手柄のためにするのなら人はわかってくれない。それが少しでも人のためになるのなら、人は分かってくれるし協力もしてくれる」ということです。
そして何よりも私達は人と人とのご縁を大切にしました。来るものは拒まず。去るものは追いかけて(笑)・・・私たちの生きがいは人が喜ぶお顔を見る事・・・なのです。
その結果、何かひとつの事をしようとするとワアーと大勢の人が集まってきて助けて下さったのです。
曼荼羅が完成した時思った3つの夢があります。
1つ目は「曼荼羅美術館を建てること」
2つ目は「その曼荼羅を世界に紹介すること」
3つ目は「曼荼羅美術館に観光バスがくること」
いろいろなご縁がもとで2番目の夢も一昨年文化庁、外務省の関係でチェコ・ポーランド・ベルリン・ロンドンへ行って参りました。
(今年はインド、来年はブラジル、再来年はザルツブルグへ行くことになっています。)
これは1300年前の日本の伝統技術(曼荼羅)と新しい日本の印刷技術(エプソンさんが開発したピエゾグラフ)の融合です。この時は宮内庁の舞楽・雅楽、天台宗、真言宗智山派の声明と総勢50名 バックに実物大のピエゾグラフの観蔵院両部曼荼羅を配しての公演です。
私は撮影担当と曼荼羅の説明。大型バス一台、コンテナ一台での大移動は大変でしたが、途中アウシュビッツでの追善供養、ロンドン大学でのレクチャー講演等にも参加しました。
そこで、私にはまた新しく大きな夢が出来ました。それは
「絵具と絵筆を持って、日本画の技法でどこかヨーロッパの壁画を描く」という夢です。
すでに染川先生の許可を頂いて、ヨーロッパ講演の時「あなたの街の壁画を描きます、私は○○です」みたいにプロフィールとメールアドレスを入れて100枚作って配りました。
なんと、先生はそのチラシ全部に手書きでサインを入れてくださった・・・感激でした。まだ依頼のメールは来ませんけどね、でも願えばいつかは・・・・と思っているんです。
これからも
人と人とのご縁を大切に・・・いつも人が喜んで下さるよう・・・大きな夢を持ち、それに向かって努力できたら・・・私の宝物は箱いっぱいになることでしょう。
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