若い頃~結婚~主人のこと
私自身はお寺の娘として生まれ、家にはお手伝いさんがいる、そういう家で育ちました。これが後々苦労の原因となるのですが…
小さい頃の夢は
「本に囲まれた生活がしたいなあ」と漠然と思っていました。自分で学者になろうとかではなくて、
手芸、染色、書道、絵画とか(手先のことが好きだったので)
何でもいい、何かの研究をしている旦那様のそばで、それをしている私がいるという感じです。
まあ子供の頃の夢はそれだけではなく他にも沢山(
バスガイド、舞妓さん、バレリーナ、ピアニスト、報道カメラマン、外国での生活等々)持っていましたが。
初めは美術系の学校に進みました。そ
の頃は絶対寺に嫁ぐのはイヤダ、と思っていました。私の父は明治生まれの頑固一徹な人で曲がった事は大嫌い、人情にあつく、人助けのためならたとえ火の中・水の中へも飛び込んで行くような人でした。
その頃はまだ
『女三界に家なし』といわれていた時代で(特に私の田舎では)男尊女卑、女は学問などすると生意気になる…と思っている男性がほとんどでした。
しかし私の父はそうではなかったのです。
私が生まれた町は
『伊勢崎めいせん』の本場で町中
繭(かいこの)のにおい、織機の音、長い絹糸を色鮮やかに着色している…
そんな風景の中で育ったのですが、若くして夫に先立たれたり、離婚したりした女性が隠れるように機を織っていた時代でした。
そのせいか父は私や姉に、
夫に先立たれても自活出来る女性になるようにと口癖のように言っていました。ですから私が上京したいと言った時も快く出してくれたのです。
丁度この頃、九歳年上の兄は敗戦後の日本のため(?)に
学生運動(砂川事件、批准書交換、赤門ハンガーストライキ等々)に明け暮れていましたが、その後 家を継ぐべく仏教の勉強のために大正大学に編入在学しておりました。
当時、その兄が私にいった言葉は
「女子はほとんどいないからどんな醜女(しこめ)でももてるぞ!」
私は多少「???」、でも結果その言葉につられて(笑)私も大正大学に入り、初めは史学科の勉強をしておりましたが、宗教学の先生とお話をしたのをきっかけに史学から宗教学に移籍したんです。日本の古代史にも興味はありましたが、
子供のころから世界を広げたい、世界の事をもっと知りたいという気持ちが強かったので…。つまり
宗教学なら必然的に世界の古い文化や人類の歴史などを勉強出来ると思ったからです。
卒論は平塚らいてう(ちょう)の
「元始女性は太陽であった…」への興味がきっかけで、ギリシャ神話の月の女神、メキシコのとうもろこしの女神等々、
『女神の研究』でした。
さてそんな折、
今の主人とは大学のサークル(仏教青年会)を通して知り合いました。
彼は、子供の頃から父に聞かされた
'良い人'(実は娘の幸福を願っての結婚相手?)の条件
(質実剛健、謹厳実直、勇猛果敢、粗衣粗食…)をすべて備えていました。
「男はするめ烏賊みたいなのが良いんだ…チューインガムはだめだ…」というのが父の口癖だったのです。
それで彼はいつも着たきりすずめ、お金は一日300円以上は使わない、ユーモアがあって知識が豊富、見栄をはらず…何か欠点はないの?
これは本人に言わせると
「いや実は臆病…なんで」という事らしいです。
さて私の母はというと、家付き娘で6人姉妹の長女。
万葉集を信奉し、
斉藤茂吉を崇奉し(?)95歳の現在も
新アララギ(『アララギ』の継承誌の一つ)の全国大会に年に一度おしゃれをして出かけていくのを楽しみにしている…そんな人です。
その母の口癖は
「手の大きい人は働き者、大きな口で口の端が上がっている人は決断力があり、くよくよしない男らしい人」でした。
私は素直でしたので親の言いつけを守り男性に会うたびに、
『するめかな?手は大きいかな?口は?・・』
それで彼を見て
『本当に彼の手は大鵬の手形と同じ位大きい、口は蝦蟇口のよう…端は?上がってる…よしこれに決めた(笑)』
決定的だったのは、彼が
「7人兄弟で誕生日パーティーを一度もしてもらったことがない」なんて話を聞いた時、
かわいそう私が毎日でもお祝いをしてあげましょう…なんて思ったわけです。昭和46年(1971年)私が26歳の時結婚しました。
最初は主人の実家の寺の
伽藍(建物)の一つである
大黒堂に住んで、主人は寺を手伝いながら大学院に通い般若経の研究をしていました。
寺はもともと
檀林(仏教の学問所)であった為、学問を志す学生さんが常に数名、明治生まれの父と母、長兄(主人は12年下)の家族7人、三番目の兄(主人は四男)、妹とでインドのマハラジャを思わせる大家族でした。
長兄はめちゃめちゃ厳しい人でこの時は
『こんな怖い兄がいたなんて…来るんじゃなかった…』と、北の空を見上げて涙した事も…。
しかし、その気持ちは時が経つにつれ大きな大きな感謝の気持ちへと変わっていきました。
世の中の事、人間のあり方、寺としてのあり方等々、手打ちうどんの作り方まで教えて下さった。今日私たちがここまで来られたのは第一にこの兄のお蔭と思っているのです。
その厳しい厳しい兄の下で主人は私より25年も多く学んでいる…と思うと、主人の今日があるのもやはり兄のお蔭なのです。

▲小峰和子作

▲小峰和子作/蓮華蔵世界
そこでの下積みの生活の中でも私たちは常に大きな夢を持ち続けました。夢はいろいろ変わりましたが、主人は
『それに向かって努力をする事。そうすればもし叶わなくてもその夢に少しでも近づく事が出来る。だから夢は大きければ大きいほど良い…』と言います。
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