仏画あれこれ、染川画伯の教え
私は子供のころから本が好きで、書物に囲まれている生活をしたいと漠然と思っていました。今、思うとその気持ちが現在私が仏画に携わっている原点になっているような気が致します。
たまたま大学のサークルで主人に出会い、彼が仏教の勉強をしていた事と、誠実で謙虚な人柄に魅かれ結婚しました。彼は大きなお寺の四男でしたので、結婚当初はふたりで主人の実家を手伝いながらそこの別棟でくらしていました。
ここでの生活はとても厳しかったけれど、その生活は何も分からない私を大きく大きく育ててくれた貴重な8年間でした。そして何よりもうれしかった事は主人が学問をずっと続けてくれた事です。
1979年、現在の観蔵院へ移ってきました。翌年新しく御本堂を建てる際、正面に
両部曼荼羅を飾るべくその曼荼羅を染川画伯にお願いしたのです。そのご縁で
観蔵院仏画教室が始まりました。その7年後今まで見た事のないような素晴らしい曼荼羅の白描図ができ上がりました。
さらに8年後の平成7年(1995年)
観蔵院版彩色金剛界曼荼羅が完成、平成13年(2001年)遂に
胎蔵曼荼羅も完成。ブラームスの交響楽第1番第一楽章の曲に合わせて参列者全員の五色のテープにより除幕式が行われたのです。(実は染川先生は日本ブラームス協会の初代会長でこの会は先生がつくられたのです。)私はこの時いつかこの曼荼羅を世界に紹介したい。大勢の人に観ていただきたいと思いました。

▲蓮華菩薩/ロク・チトラカール

▲不動/ロク・チトラカール

▲踊る孔雀/ラニヴァティ
そして念願が叶い、平成14年(2002年)
曼荼羅美術館が完成したのです。
曼荼羅美術館ではその
「観蔵院両部曼荼羅」を中心に、西川みつ子作紺紙金泥
「観蔵院両部曼荼羅」、染川英輔作
『奏楽の天女たち』、『我が心のバーミヤン』他多数、ネパールの伝統美術作家であるロク・チトラカール師がお描きになった
観蔵院曼荼羅ネパール編(もともとネパールにはこの形の曼荼羅はなかったのでチトラカール師は前回お話した『曼荼羅図典』を見て描かれました。
ちなみに、チトラカールという名前は絵を描くという意味のカースト名です)、
別尊曼荼羅、タンカ(ネパールの仏画でロク・チトラカール作)、
ミティラー民族画(ネパールミティラー地方で3千年にわたり母から娘へと伝承されてきた壁画、ラニヴァティ作
「踊る孔雀」など多数)、その他に六世紀から九世紀にかけて中央インドを中心に用いられた文字の悉曇(しったん)の作品(児玉義隆先生とそのお弟子さんたちによる)、染川画伯指導で共同制作の天井絵
『美術館建立を啓示する天女たち』、そして染川画伯が最近美術館に寄贈された画伯が曼荼羅をお描きになる以前の作品と習作、数百点を収蔵しております。
さてここで私が仏画を語るときに絶対はずせない、しかも前述の如く限りない影響を頂きました日本の仏画家、日本画家の第一人者である
染川英輔画伯のお話を少ししようと思います。
染川先生のプロフィールをご紹介します。1942年台北のお生まれで、若くしてご両親を亡くされ、中学、高校、大学とご苦労されたようです。
1965年に
東京芸術大学日本画科を首席で卒業され、その作品は大学がお買い上げに。デッサンの技術や豊富な知識とお人柄に裏打ちされた先生の仏画、日本画の作品は多くの人々の心を動かします。

▲左から私、染川画伯、夫の小峰彌彦氏
染川先生が私たちに仏画を指導される時、先生は
仏様のお顔、お姿は必ず左右対称になるように、衣を取っても手足がばらばらにならないように、中心がずれないように・・・と指導されます。お顔は眼球があって、頬骨があって、顎の骨がこうなっていて、お体は肩甲骨がここで、鎖骨がここで尾てい骨がこうなっていて・・・と、目の前でどんどんデッサンされて、裸の仏様がみるみるでき上がる。そこへ衣を着せていく。こうして描かれた仏様を見ると格調高く崇高な尊像になり、自然と手を合わせたくなるるのです。
もうひとつ忘れられないお話があります。特に私が感銘を受けたのは、先生が
イタリアのバチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂へ行かれた時のお話です。ここにはルネッサンスを代表する
巨匠ミケランジェロの大作『最後の審判』があります。先生はこの絵を見た時、頭を金槌でがーんと殴られたような気がしたそうです。
そして今までのご自分のしてきた事がどんなに小さくどんなに貧弱だったか? 1年足らずで描き上げた作品がコンクールで入選したり、しなかったりと電話一本で一喜一憂していた世界。それに比べこの絵は
何世紀にも渡って人々の心を魅了してこれほどの感動を与えている。
そう思ったらそれからは日々の生活も変わられたそうです。

▲完成間近の曼荼羅前/中央は染川画伯
平成14年(2002年)から1年間を費やして先生とそのお弟子さん36名で新しく建てた
薬師堂の天井絵55枚を描きました。
その時の先生の御指導は本当に厳しくて、
「あの時の先生は鬼に見えました。」と皆さん口を揃えて言われるくらいでした。ある花を描かれたSさんは何度スケッチを描いてきてもOKが出なくて、 私は思わず先生に
「先生!丑の刻参りのわら人形にされるのでは?」と言うと先生は
「そのうち何倍もの感謝になって返って来ますよ」と笑われました。この時 私は前述のミケランジェロの話を思い出したのです。
こうしてでき上がった天井画は本当に見事で、図案化された従来の物と違って
ひとつひとつの絵には風が通り、音が聞こえ、描いた人の心を感じる・・・
すばらしい天井画になりました。 その後描かれた方々の御家族、友人が訪ねていらして、Sさんも見事に仕上がった御自分の絵を見上げてお孫さん達にうれしそうに説明していらした。先生って本当にすごい!!と心から思いました。
真の芸術家とは? (おこがましくも言わせて頂くと)
自分の絵がいくらで売れるか? どの位名声を上げるか? 自分の立場はどの位か? いつも周りを気にして、またいつも時間を計算する・・・という事を全く考えない人・・・。先生を見ているとそんな風に考えてしまいます。
ちなみに先生の御依頼で観蔵院の仏画教室では学生さんと80歳を過ぎた方からは授業料は頂いてないのです。

▲小峰和子作
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