小学校から始まる蝶収集の歴史
私は
4人兄弟(全員男)の末っ子です。すぐ上の兄も9つ離れていて、兄弟喧嘩とかの記憶はあまりありませんね。
蝶のきっかけはすぐ上の兄です。小学校時代ですが、3年生くらいかな。
当時は兄の興味は’野鳥’だったのですが、小学生って昆虫採集とか夏休みの宿題でやりますよね。
その兄の影響で山やなんかに出かけて行って昆虫採集して、標本を作ったりしたのが始めの頃ですかね。
実は
当時は蝶だけでなくカミキリムシにも凝ってました。ルリボシカミキリとかね、最近見なくなりましたね。
小学生の頃は標本も作っていましたが
「鱗粉転写(りんぷんてんしゃ)」ってわかりますか?昔はよく見たんですが。
採ってきた蝶を羽をはずして紙に糊を塗ってその間に挟み込み、鱗粉をうつすんです。
で、羽の形に切ってね。
もう50年くらい前なので展翅標本は跡形もないですが、鱗粉転写は当時のアルバムがまだ残っていますよ。

[燐粉転写アルバム]

[燐粉転写キアゲハ]
覚えているのはその当時同好会がありまして、指導や運営をしてくれる先生がいたんです。
今で言うサークル活動みたいなもんです。ボーイスカウトみたいな・・・・
子供たちを集めて学習指導をしたり動植物の採集に行ったり、アウトドア&インドア両方とも・・・
科学に興味を持ってもらおうと、小学生を集めて色々集めて実験したり昆虫を採りに行ったり講演会じみた物をやったり・・・
当時熊谷には
「三泰助」といわれていた、子供たちの啓蒙活動を熱心に行っていた泰助と言う同じ名前の先生が3人おられました。
私の同好会の先生は三沢泰助先生という方で、科学同好会と言う組織で子供たちの学習指導や野外活動の指導をしていました。
その影響もあって私も学校が終わってから、
荒川の河川敷や神社の森、夏休みには秩父の三峰とかいろんな所に行きました。
三沢先生は現在もこの頃と同様の科学クラブの様な活動を主宰されているようです。数えると50年以上になる訳で本当に頭が下がります。
この頃先程の兄と赤城山へ旅行に行ったのも懐かしい思い出です。
スジボソヤマキチョウなどを採集した記憶があります。
蝶の趣味は小学校から高校生まで続きます。
中学校時代からはますます蝶のコレクションにのめりこんで行きます。
蝶を採る→展翅版に展翅して乾燥→標本箱へ、という当時の小学校の男の子の夏休みの宿題の定番で、
その頃は夏休みには毎日河原に蝶の採集活動に出かけていきました。
捕虫網と三角紙(蝶を入れる三角に折ったパラフィン紙)を抱えて、でも・・・・・
ご存知でしょうか?
蝶の最盛期って実は6月末~7月中旬なんです。つまり夏休みだともう最盛期は過ぎてるんですね(笑)
高校生の時も生物部に入部、この時にまたも忘れられない恩師に出会いました。
「高橋重男先生」この先生は1991年に立派なご本を出版されていますが、専門は植物です。

[標本箱と高橋重夫著書「せんだんの群像」]
とても熱心というか知識も豊富で、合宿みたいに私達もいろんなところへ採集旅行につれってって頂きました。
尾瀬へ行ったり北アルプスへ行ったり・・・・植物チームも昆虫チームも一緒にね。
この高橋先生は20代で熊谷高校で教鞭を取ってから他校へは出なかった人なんです。
学生時代から主に植物の調査・研究を続け、熊高に入ってずっとそのまま定年までいたんです。
偉くならなかった、校長とか教頭とかね。
まあ本人もそんなものには目もくれなかった、それで最後まで’ヒラ教師’のままでね。
今も調査・研究活動は現役で頑張っておられます。
三沢先生と高橋先生、この二人の先生には色々とお世話になって、今でもあちこち採集旅行に行った記憶が沢山残っています。

[ツマキチョウ]
さてこの後は転機です。この高校時代から大学に進んだ頃に1つの変化が訪れます。
大学は仙台、東北大学の工学部です。いろいろありまして・・・(笑)
つまり蝶の採集から
’山に登ること’そのものに興味の対象が移っていったのです。
大学時代は当時華やかなりし
「ワンゲル」(ワンダーフォーゲル部)に所属。
以来、実に40年近く蝶から興味は遠ざかっていたのです。
周りはみんな山登り、山歩きが好きな連中の中で一人だけネット持ってくのもなんだし。
山を登っている時に
「あっ 面白い蝶がいる、ちょっと待ってて」とか言って立ち止まる訳にも行きませんしね(笑)
卒業したあとすぐ三洋電機(株)に就職しまして、
関西に18年いました。
何故埼玉なのに仙台の大学や大阪での就職かというと、上3人の兄が皆、大学・職場が東京近郊だったので、
当時、多少アンチ東京みたいな気分があったのかな、という気がします。よくある親への反発みたいな時期でしたね。
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