そしてついにお店開店!
実は駒込周辺はミニカーショップの多い地域なんです。
隣の巣鴨には老舗の「ガリバー」や「さかつう」さん、大塚には「ビッグハンドル」さんとかそのほか銀座や五反田、渋谷にも有名なショップがありますし、ミニカーショップめぐりで山の手線一周できますよ(笑)
さて息子は開店する前にかなりお店の場所にこだわっていました。あちこちの老舗ショップを廻ったり商品知識だけでなく通販と店頭売りのデータを自分でこつこつ勉強したり、奥さんの協力もあったようです。
こうして始めは不安一杯だったミニカーショップ経営も店舗地も決まり、資金の工面も何とかなってようやく一昨年10月に駒込にオープンできました。前述したミニカーショップのご協力も随分頂きました。
ただし幾つか息子に言ったことがあります。
一つは本気でお店をやる以上は、自己責任において経営すべきだという事です。
それと店頭販売が主力となりますが、通販・オークションの時代ですので併せてこれらにも力を注ぐ必要があります。
特に通販でのお客様は店には来られないため信用と信頼を得るためにもお店を持つ事は必要不可欠だと思います。
それと共に約束したことをきちんとお客さんに伝える、それがお客様の信頼につながりそれはリピーターにつながるという考えなんです。
少年時代~山形疎開の思い出
少し、私のことをお話しましょう。生まれたのは昭和16年です。東京生まれですよ、今の恵比寿の辺でしょうか。
当時は渋谷区景丘町(昭和35年合併し現在は恵比寿東)でした。4人兄弟で上から姉・私・妹2人という構成です。
当時は太平洋大戦のど真ん中ですから昭和20年3月の東京大空襲の影響を私も受けました。
それで母の実家がある山形へ疎開、4歳から10歳位までそこで過ごしていたんです。
山形での思い出は楽しいものが多いですね。まあ何もない時代でしたが、春は山菜採り、冬は下駄スキーといつも外で遊びまくっていたような印象です。母の実家にしばらくいた後、今の蔵王駅から徒歩15分位の場所に移って、自然以外は何もないような場所で毎日駆け回っていました。
春のワラビやぜんまい、秋のきのこ採りは楽しかったですよ。今でも大好きです。なめことかね(笑)
当時はやっぱり物がない時代でしたから、食べるものはそういう物が記憶によく残っていますし、肉などほとんど食べられませんでした。物の大切さはやはりこの当時の体験がベースになっていると思いますし、物を大事にする、残す・捨てるのがもったいないという感覚は私達の世代は基本じゃないですか?
父は琴作りの名人でした。職人タイプですね、結構怖かったです。行儀に厳しい、物が飛んでくる(笑)
今では理由も忘れてしまいましたが、よく怒られ厳しい父でした。
対して母は優しかったというか、男親が怒ったときに母親に救いを求める、それがやはり母親の仕事のような気がします。
やっぱり二人で怒ったらダメですよ。その辺は絶妙だったというか阿吽の呼吸というか。
東京へ戻る~趣味の芽生え
小学校4年生の時、東京へ戻ってきました。現在も住んでいる田端です。
とにかく今思い起こせば多趣味というか、遊びまくったというか久々の東京で弾けてしまったのでしょうか?
当時は空き地で三角ベースでしたが今で言うリトルリーグのような野球チームに入っていました。
相撲は鏡里(*1953年に第42代横綱、優勝4回、その土俵入りは動く錦絵と呼ばれた)や千代の山(*1951年に第41代横綱、新入幕の昭和20年に10日間全勝するも当時の制度で優勝は出来ず)などが人気絶頂の時代で、国技館にもよく見に行きました。
その他、卓球も大好きでしたね、当時は街中に卓球場が一杯あったんですよ。
今では少子化のせいか卓球場も減少しましたが復活すれば再びやってみたいですね
中学・高校生時代はバスケット部に所属し根性を養った時代でした。
その頃から切手やコインの収集にも凝りだしました。切手収集はその頃はまだ‘走り‘だったのでしょうか?
昔は古本屋などにも切手は置いてあったんです。収集は社会人になってからも続きました。
シートで購入する方もいらっしゃいますが、私はスタンプの押された使用済み切手が精一杯でした。
まあまだ子供でしたから財力ないですし。でも子供って特に男の子は何か集めたくなりませんか?
あとはクラシック音楽も趣味の一つですね。これは姉の影響ですが今でもLPレコードは大切に保存しています。
18,9歳でしたか当時来日したボストン交響楽団(*)を聴きにいったのは思い出深いです。(*アメリカ5大オーケストラの一つ。小沢征爾が1973年から2002年まで音楽監督を務めた)
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